アルコール新幹線
1月の最初の連休は、大学の面接官のお手伝いに。
自分自身の性というか、サーガというか、後輩の面倒が好きなのである。
で、就職活動でアドレナリンが出まくっていた私としては、その微々たるテクニックを伝授したくてたまらないという発作にこの時期に陥るのである。
で、そこであった出来事は、また別の機会に。
問題は、その後の事だ。
まあ、全国各地から、OBたちが集まってくるということもあって、イベント終了時には、打ち上げの飲み会がある。
問題は、これなのである。
卒業してから、間もないものもいれば、私のように割と経っているものもいるので、
会場はどうしても、チェーン店の居酒屋になりがちである。
そして、会費は極力安く、部屋は、極力広くだ。
正直、ほぼ一日中、面接やエントリーシートのアドバイスで話しまくった面接官サイドとしては、ほんとに、疲れ切っている。
そして、寒さ。
これにとことんやられまくっている。
そんななか、格安3,000円ぽっきり飲み放題の店に入ってしまうと、どうなるか。
しかも、ろくに食べるものなどない。
なぜなら、飲み放題しか保証されていないからだ。
私自身、毎日割と飲んだしているので、そう酔っぱらわない自負があった。
だが、
ハイボール二杯にして、すでにろれつが回らなくなっていたのだ。
だが、分かる。
「ろれつが回っていない」ということが理解できているうちは、まだ酔っていない。
だが、
次に記憶があるのは、乾杯でもなく、一緒に飲んでいた唯一の同期との談笑シーンでもなく、新幹線のトイレであった。
そして、その次の断片的な記憶は、在来線である。
最後は、タクシーの釣銭がポケットに入っている。
わしは、ジェイソンボーンか・・・。
記憶が、フラッシュバックする。
記憶かとんだ3時間のうちに、新幹線のチケットを買いなおし、在来線に乗り換え、タクシーに乗り、行き先を伝え、自宅に帰り、予約していた番組のチェックをしようとして力尽きたというのか・・。
目が冷めたのは、がたがた震えながら、朝六時過ぎ、自宅のベッドであった。
もはや、格安居酒屋の飲み放題の後に、新幹線に乗るのは、二度としないでおこうと思った2018年の新年であった。
使いづらいんじゃない、使えてないんだ。
社内で、君ほど、意見が分かれる人材はいないよ。と彼は言った。
昨日は、お世話になった上司の送別会だった。
たまたま、ご本人と席が横になり、私の話になった。
「使いづらいんだって。僕はそうは思わないけどね。」
私にとって、この手の話は毎度のことなので、もはや気にならなくなった。
「そうですか・・・。まあ仕方ないですよね。」
そう仕方ないのだ。私はあえて、それを承知で入社したのだから。
最終面接のときに、いまの同期になるメンバーの顔を見たとき、私は、ガッツポーズをしたのを覚えている。
自分と被っているやつがいない。
これは、目立つな。と。
そう、つまり最初から、違う路線で入社したのだ。
私が勤めている会社は、「言われたことはその通りにやる」マニュアル的な没個性の方で構成されている。そして、そういう人が社内ウケもよく、出世も早い。いわば、かつてのカローラのような存在とでもいえようか。
そんな中に、私のような「マニュアルは、あくまでマニュアル」効率よく新しいアイディアをどんどん出して、「間違っていることは、上司でもけんかする」タイプはそう多くはない。車でたとえるのなら、大量生産していない乗り手を選ぶ車という意味で、フェラーリみたいなものだろうか(自画自賛ではあるが)
だから、そこにいるだけで目立つ。一緒に仕事をしたことがない人は、尾ひれがついた噂を信じて、顔をそむける。「一緒に仕事できない、使いづらい」と。
「だけどね、使いづらいんじゃないんだよ、使えない方が悪いんだよ」
と上司は言葉をつづける。
「君と仕事をしてわかったのは、使い方さえ間違わなければ、高いパフォーマンスを出すということ」「好き嫌いと、使えないとを混同している人が多い」
ここ数年、業界的にいろいろなことがあり、これまでのようなやり方は通用しない時代になってきた。会社のトップからは、「個性の出せるやつになれ」などというコメントが出る始末。
んな、ばかな・・・。
今まで、没個性の塊で採用された人たちに、「個性を出せ」といったところで、土台無理な話。さらに、個性を出せない、出し方を知らない上司が個性がある部下を使いこなすことは、これまでの経験上非常に少ない。
最大のパフォーマンスを出すための努力。
それは、私自身も日々精進しなくてはいけない。
それとともに、
最大のパフォーマンスを出させる努力も、上司側には、必要なのではないか。
「社内で、君ほど評価が分かれる人材はいない」このせいで、苦労はずいぶんしてきた。
幸い、一緒に仕事をすると、それまでの尾ひれのついた噂や悪いイメージは一気に払しょくされ、逆に応援する側に替わってくれる。上司部下の関係がなくなっても、相談をしてくれるようになることも多々ある。
再来年、社内の体制が一気に変わる。
その時に、私はどのような評価がされているのかが、可視化されるような気がしている。
少しずつ、仲間は増えてきた。
来年、もっと大きな枠で仕事ができるように、自分自身も磨いていきたいと思う仕事納めの日である。
エピソードⅢ ソウル・マイ・ラヴ
(この記事は、1999年4月に執筆・掲載した記事を、2017年版に加筆修正いたしました。世相も若干、新しめにしています。)
私はそのときソウルにいた。
私はそのときソウルにいた。何故かソウルにいた。
焼き肉食っていた。
それが、あんな事になるとは。
バンコク
先月の卒業旅行のバンコクからまだ1ヶ月も経っていないというのに、また海外に来てしまっていた。
バンコク・・・。
男4人でなにしに行くか、多くは申しますまい。
一言付け加えるのであれば、「私は、なにもやましいことはやっていない」という、信用度ゼロのセリフである。
卒業前の3月というせいもあってか、まわりは社会人に向けて引っ越しや旅行のラッシュとなり、私も、残りわずかな学生生活をただ、だらだらと過ごしていた。
そんな腐ったある日。
バンコクで一番はじけていた彼が、「ソウル 夜の歩き方」なる本を片手に遊びに来た。
彼:「おい、ソウル行くぞ、ソウル。」
僕:「はっ?」
そういうと、彼は私に、チケット予約の申込用紙を手渡してきた。
そこにはすでに、私の名前がしっかり書き込まれていた。
「なにー。」しかも、出発あさってやんけ。
急遽、「社会人になったら、なにかと入り用になった時のための隠し資金」から、
飛行機代を捻出すると、なぜか、やさぐれた大学生の部屋にありがちな、「肝心なものが、いざという時にない現象」が発生。
捜索すること3時間。こたつの中に転がっていたパスポートを引っぱり出し、鞄に詰めた。
当日。
バンコクと同様、いわゆる「世界のオカモト」をいっぱい詰めた友人と、
「整腸剤」を行商するほど詰めた私は、まだ真新しい関西空港にいた。
外は、うっすらと雪。
韓国も寒いんだろうななどと旅愁に浸っている横で、
友人は、バイブルとして崇め奉っている「夜の歩き方」の熟読に余念がなかった。
こんなに熱心な彼は、大学4年間でそう見られたものではない。
「どうせ、ろくなんいないって、白浜の時にいた女子高生みたいにさぁ」
という私に、「いや、バンコク以上に期待できそうだ」と言い切った。
そんなおばか2人を乗せ、UA(UNITED AIRLINES)の飛行機は、関空を後にした。
ソウル・金浦空港。
はっきり言って、実家に帰るよりも短時間で到着。
そりゃみんなソウルもいくわな。
これまで、バックパッカーメインだった我々にとって、今回は初の「エアーチケット・ホテル予約付き」のパックツアーだったので、現地のガイドが待っているらしい。
ガ:「コンニチハ?」
そう言われて、振り向くと華原朋美バリの(全盛期の)かわいい添乗員に、
友人は反射的に「世界のオカモト」を出そうとしていた。
そんな我々と、いまなら、KPOPにドはまりしそうな買い物目的のOLさん。
その横には、新婚旅行なのか、いちゃいちゃしまくりの新婚さん。
そして、スマホで加工することがマストの女子大生3人組。
これが、我々のツアーメンバーである。
といっても、自由行動で、宿泊するホテルだけが一緒なのだが・・・。
ホテル。
新婚夫:「ごらん、あれがソウルタワーさ。」
新婚妻:「なんてロマンティックなの」
(BGM*アンチェインドメロディ 「ゴースト」のテーマ)てなことはなく・・・。
私:「おい、目の前、高速走ってるぞ」
彼:「それより、お湯でんし、このライト電気つかんで。」
やっぱり安いだけのホテルであった。
既に、「歩き方」(くどいが夜の歩き方)を熟読した友人は、もうガマンできないのだろう、「行くぞ」と、私をせかした。
夜9時。
我々は東大門と言われる場所にいた。
軽く屋台で、飯を食うとぶらぶらと観光した。
私:「なんかつまらんなぁ。」
彼:「じゃ、いくか。(オカモトを使う場所)」
私:「どこへ(居酒屋)?」
彼:「決まってるがな、楽しいとこや!(オカモトを発揮できる場所)」
そういうと、ドヤ顔で、明洞(ミョンドン)と呼ばれるソウル一の繁華街へとやってきた。
が、ここは「昼」の繁華街だった。
ついたとき、あいていたのは、コンビニと居酒屋数件だけだった。(1999年当時)
彼:「コンビニで、その手の本かおうや」
私:「おー、そうするか」(よくよく考えたら、ハングル語、よめへんやろ!!)
コンビニでしゃべっていると、矢崎滋似の韓国人が、声をかけてきた。
滋:「アナタタチハ、ニホンノカタデチカ?」
このおっさんに、聞いてみよう。
私:「そうです、いま、飲めるところ探しています。」
滋:「アー、ココラニハナイネェ、江南ニイクデス。」
私:「江南?」
滋:「ヨルノマチデス。」
彼:「夜の街?!(オカモト発揮!)」
彼はこの言葉で、浜崎あゆみばりの目の大きさになった。
滋:「ワタチシッテル、アナタタチオモシロイ、ワタシツレテク。イッシヨニノムデス」
私:「どうする?」
彼:「やばくなったら逃げたらいいやろ、このおっさん弱そうなデブやし」
私:「とりあえず、カーナンバー覚えとこ」
そう小声で打ち合わせすると、おっさんのセダンに乗り込んだ。
”シャ乱Q””X”など、ガンガンかかる、滋のセダンは
ソウルの夜のハイウェーを突っ走った。
すっかりフレンドリーになった我々は、車の中で「ずるい女」を大合唱であった。
「なんか起こりそうだ」そんな予感を胸に、滋カーは江南の地区へと着いた。
が、どうみても、なにもありそうにない。
確かに、高級そうなブティックや、焼肉屋はあるが、連れのご所望している肝心の、「ちょっとお姉さんと遊びながら・・オカモト」というところは見当たらない。
彼:「ねぇキムさん、ないやん、カラオケのあるようなとこ。」
滋:「アレーオカチイネェー」滋は、困った顔をしたが、
我々は、「こりゃ、なんかやばいな」と思い始めていた。
まさに、「何か起こりそう」なのである。
私:「キムさん、ありがと。適当に探すわー。かむさはむにた、あにょはせよー」
そういうと、我々は、歩き始めた。
滋は、それを見て素っ頓狂のような声を上げた。
滋:「ダメダメ、アブナイネー。ココラハまふぃあトカイッパイネ。、コロサレルアル。」
私は、またそんなこといって、と思いながら前を見ると
男たち:「*@+?¥!”#$%’」
なにやら怒鳴り声が聞こえ、数人の屈強な男が飛び出してきた。
私:「や、やばいかも・・・。」
そう思った我々は、滋の忠告に従うことにした。
滋:「タイジョウブ。イイトコ オモイダチタ、ヤスイ。タノシイ」
そう滋は言うと、携帯でどこかに電話をかけ始めた。
そして、滋カーは、なぜか来た道を戻るのだった。
結局、最初のコンビニの近くまで帰ってきた。
滋:「ココネ、ココ」
見るとジョッキの絵を描いてあるネオンの店だった。「BAR」ってかいてある。
滋:「びーるヤスイノネ」「タクサンノムネ」
そう言うと滋は、階段を下り、地下の店へ入っていった。
彼:「どうする?」
私:「まあ、1杯だけ飲むか。それで帰ろう」
我々も中に入った。
薄暗い店内は、客が10人も入ればいっぱいになる。
そして、何故か、ガラス張りのサウナのようなカラオケボックス部屋が2部屋。
その一室に、われわれは入った。
滋:「サア!ウタウ。ワタシ、ナガブチスキネ。」
そう言うと、滋は「乾杯」をセットした。
カラオケシステムの字幕は日本語で、連れもマイクを持って歌い始めた。
そこにウェーターが来たので、250円ぐらいの生ビールを頼むと、
私もなにを歌おうかとカラオケの本を開いていた。
そのとき、突然「コンニチハー」といって、明らかにホステスとおぼしき、神田うの風の女の子と、千秋風の女子大生が、お酌をしにはいって来た。
私:「カラオケボックスちゃうやん・・・!」
といぶかしながら連れを見ると、「世界のオカモト」がやっと、やっと・・・と連れは感無量のご様子だ。
うの:「ネエ、ワタシモノンデイイ?」手を触れながら、私の膝の上に、うのが乗ってきた。まさに、バンコクを彷彿とさせるシチュエーションである。(くどいが、私はなにもしていない)
私:「ど、どうする?」と私は「乾杯」を滋と熱唱している連れに問うた。
彼:「ええんちゃう、楽しそうやん」
私:「そ、そうやな」
ええい、もうしらーん。のめやうたえや。
うの:「アリガト・かむさはむにだ」そう言うと、うのは、部屋を出ていった。
私は、「浪漫飛行」をセットすると、「乾杯」をハモりに加わった。
まさに、卒業旅行万歳!ソウルの夜に乾杯である。
ガチャ、ドアが開いた。
うのは、
「リポビタンD」大のウイスキー小瓶を2本、
水割り用のペットボトル3本、
コーラ3本
そして清酒2本 を机の上に、ガンと置くと、
「キリキリキリ」と、ウイスキーの小瓶を目にも留まらぬ早さで、開け始めた。
「ちょっ、ちょっとまって、ウェイトォー!!」我々2人は、ほぼ同時に叫んだ。
彼:「た、たのんでないで!」
そう言っているさなか、次は、千秋が、バラエティに富んだピーナッツ、トロピカルなフルーツの盛り合わせと、そしてするめが一枚、高級そうな皿に入って運ばれてきた。
私:「おーい、頼んでないって!」
彼:「キムさん、なんか言ったって、頼んでないって。」
滋は、びっくりした顔をしながら、うのに、ぶつぶつというと、私に対してこういった。
滋:「ゆー、アナタノンデモイイヨイッタカ?」
僕:「あー、ビールをね。ぴーじゅーね。」
うの:「チガウモン、ウイスキーイイテ、イッタモン」と、
うのは、そう言いながら、さらに清酒も開けようとする。
私・彼:「こらこらこらこらこらー、あけんなや!」
我々の本気の突込みに、うのは、てでいった。
彼:「キムさんどうしたらいいの?」
滋:「ワタチモワカラナイ、コンナノハジメテ」と頭を抱え始めた。
僕:「おいおい、おっさん。・・・・・」
連れは、とりあえずメニュー表を開いた。そして、黙り込んだ。
私:「どした?」私もメニュー表を受け取り、開いて見た。
ういすきー1本:120,000ウォン (12,000円)
冷酒 1本:100,000ウォン (10,000円)
水 1本: 20,000ウォン (2,000円)
こーら 1本: 50,000ウォン (5,000円)
ピーナッツ盛り: 80,000ウォン (8,000円)
フルーツ盛り :100,000ウォン (10,000円)
スルメ : 80,000ウォン (8,000円)
トータルお会計:910,000ウォン(91,000円)
というとんでもないものであった。
私:「こりゃ、浪漫飛行どころじゃねえな。」
滋は、だんまりでへこんでいる。
これは、間違いなくぼったくりだ。地下だ。袋小路だ。これは請求させられるだろう。
連れは、放心状態である。
(しゃーない、あの手で行くか。)
私は、滋にこういった。
私:「しかたないな、ちょっと、ATM行って来ます。」
そう言って、連れに、目配せしてガラス部屋のドアノブに手をかけた。
連れも分かったらしく、
彼:「キムさんまってて、すぐ、現金作って、迎えにくるからさ」
それはまるで、「戻ってきたら結婚しよう」といって戦地で必ず死んでしまう兵士が出てくる戦争映画さながら、帰ってくる可能性は皆無である。
私は、「よし、出るぞ」とつぶやきながら、勢いよく、ボックスのドアを開け、出口に向かうと、そこには4人ほどチンピラが、われわれを待ち受けていた。
私:「うっ、でっ、でられん」
まるで、「バイオハザート」のゾンビの世界である。
さらに背後には、安岡力也が3人立っている事に気づくのに、そう時間はかからなかった。
そして、力也(1)が一言こういった。
力也(1):「おい、どこいくんや?」
実にうまい日本語である。が、感心しとる場合ではない。
それはなにを言っても、店から出してあげませんという語調でもあり、
「でるんやったら、かねはらいや。」というサインでもあった。
私:「いや、金がたりんので、お、おろちてこようと思いまして・・・」
力也(2):「なーにーぃ、ふざけたことぬかすなぁ、そうやって出ていこうたって、いかすかぁ」
そう言うと、徴兵上がりの太い二の腕で、襟首捕まれて、カラオケ部屋にずるずると戻された。
私:「あっあのー、わたちたち学生で、お金無いアル。」
私:「こ、今回海外初めてアル。やっと働いて貯めて、ソウルきたアルー。」
私:「大将男前!!、日本人、韓国大好き。we love そうる、イヤー、ほんと。マジで。」
もう、かくなるうえは、徹底的に褒めちぎる。なんなら靴でもなめる。何としてでも脱出するんだ!戦争映画にしてたまるか!!
まるで電波少年の出川哲朗並の負け犬を演じ始める私に、連れもあきれ気味であった。
ここは、自分をさらけ出すほかない。
私は生い立ちから、喫緊に起きた食中毒の話まで涙ながらに語り、力也3人衆に同情を誘い、かくして軟禁3時間後、ようやく、ひとり3千円の支払いという事で、解放されたのだった。
その間、連れは、私の負け犬を見ているだけ。滋は、ピーナッツをぼりぼりむさぼり食っていた。
そうか・・・。
地上に出た我々は、結局、滋もグルだったのかとようやく気が付いた。
何とも言えない脱力感を、滋カーにぶつけると、脱兎のごとく明洞から逃げ去った。
疲労困憊の我々は、ようやく生還した宿泊ホテルで一呼吸しながら、「地球の歩き方ソウル」を開くと、寸分違わない詐欺事件が、そのまま載ってあった・・・・。
こうして、ビール1本3000円のソウルツアーの夜は、
となりの新婚さんの楽しそうな物音を聞きながら、更けていくのであった。
アンコールワット ハーフマラソン2017に参加してきたよ。
興味を持つ。
今年9月、長期休暇を使って、久々に東南アジアを周遊してきました。
何となくの興味しかなかったアンコールワットに行って、飯のうまさ、人々のフレンドリーさに触れ、とても楽しい時間を過ごしました。
現地で、次の旅先を探していて、ガイドブックでたまたま目に入ったのが、
「アンコールワットマラソン」
ん?何だこの面白そうなマラソンは・・。
しかも、開催は12月。
さすがに、今年はもう申し込みを締め切られてるだろうな・・・。
と検索してみるとまだ申込みしているようだ。
というわけで、さらに調べてみる。
第22回アンコールワット 国際ハーフマラソン | 在日本国カンボジア王国観光省
何と、大会2月前まで、普通に申し込める…。
これはいかないと。
日本に帰ってくるなり、早速、航空券の相場と、エントリーを確認しました。
エントリーをする。
しかも、そんなに高くない。
というわけで、オーバーシーズネットワークさんから、エントリーをしました。
エントリーすると、メールで、入金連絡が来て、入金が完了すると、大会2週間前ぐらいに、登録書と、事前注意が送られてきます。
エントリーの際に、参加Tシャツを記載します。
これは海外サイズなので、日本人の方は、ワンサイズ小さめがお勧めです。
航空券をとる。
航空券をエントリーとともに、予約発券します。
大会前後は、直行便は込み合っているのかな…と思っていましたが、案の定、地元空港では無く、関空に変更したら、割と安く確保できました。
今回は中国南方航空さんです。
サイト自体が、少し重たくてなかなかストレスがありましたが、なんとか決済ができました。
座席指定は前日からなのですが、指定するなら、おすすめは、非常口2列ある方の後方側が、多少広いです。
宿をとる。
ホテルは、Booking.com さんで、サクッととりました。
シェムリアップ自体が、観光地と言うこともあって、ホテルは、たくさんあります。
観光拠点は、夜飲む方なら、パブストリートや、オールドマーケットの徒歩圏内の宿を選ぶとよいと思います。
難点なのは、あまりに飲み屋さんが近いと、夜中まで爆音が聞こえたりするので、寝られないことがあります。私も、マラソン前日、ホテルの目の前で、1時ごろまで、ライブが始まり、なかなか寝つけられませんでした。
いざ現地へ。
実は、アンコールワットマラソンは、8月と、12月にあります。
12月は、乾季ということもあり、雨の心配は少なさそうです。
私は、12月1日に、関空⇒広州⇒シェムリアップに入りました。
ビザを取得して入国。
カンボジアは、ビザが必要です。
ビザは、事前にオンラインで取ることもできますし、当日空港で取ることもできます。
ビザ申請 VISA | 在日本カンボジア王国大使館 Royal Embassy of Cambodia in Japan
私は、当日空港で取得しましたが、ここで注意することは、入国前に、
〇ビザ用の写真(パスポート貼り付け用サイズ)
〇ビザ代のドル(30ドル)
が必要です。ドルについては、ビザカウンター横にATMがあるので、ドルを預金口座から引き出すことが可能です。(各銀行のHPをご確認ください)
なお、入国まで両替所はありませんので、ご注意ください。
ビザの申請用紙は、航空会社によって、配ってくれたり、持っていなかったりしますので、当日空港で記載することになるかもしれません。
ダウンロードして持っていくのもアリですね。
空港の申請手続き場所にも、申請用紙がないことがありますが、職員の方に伝えると、申請用紙を出してくれますので、それに記入してください。
ビザの申請をせず、入国カードだけ記載して、長蛇のイミグレに並んでいると、自分の番が来た時に、無情にも「ビザとってこい!」とパスポート投げ返されるので、きっちりビザを取得するようにしましょう。
取得時間は10分程度なので、入国までの所要時間は、トータル1時間もかかりません。
simカードを買う。
無事入国完了したら、待合のゲート(出口)横に、SIMカードを販売しているところがあります。何社かありますが、私は、SMART というカンボジアの通信会社のSIMを購入。店員さんが手際よく、持って行っていたSIMフリーWIFIにセッティグしてくれました。値段は、10日間6GB、10ドルでした。何の問題もなく、すぐつながったので、非常に助かりました。
ホテルの送迎タクシーで、市内へ。
シェムリアップのホテルは、空港⇒ホテル間に送迎を無料でつけてくれるところがあります。空港から市内までは、約20分程度。ただ、夕方は込み合うので、30分といったところでしょうか。(料金は、TUKTUKで、市内に向かう場合は、10ドル前後かと。交渉次第)
さあ、エントリーセンターへ。
他のマラソン大会同様、前日までに、エントリーセンターにて、大会エントリーを済まさなくてはなりません。
翌日、私は、流しのTUKTUKをチャーターして、エントリー会場であるソカアンコールワットリゾートシェムリアップに向かいます。
会場に向かうと、オーバーシーズ経由で申し込んだ方は、GROUPのエリアにて、ゼッケンを受け取ります。あっという間に終わってしまいます。
(参考)事前メールでは、このような周知がきちんと来ます。
★コース変更及びスタート/ゴール地点の変更が発表されました。
変更後のコースマップ及びスタート/ゴール地点に関しましては添付ファイルにてご確認ください。
この変更は、フンセン首相による政府行事のアンコールワットでの開催が決定した事を受けての措置となります。
★ソカ シェムリアップリゾートでの最終登録につきまして
Group Deskが設置されることになりましたので、そちらのカウンターにてお手続きをお願いいたします。
【手続きの手順】
- 掲示板でご自分のBID 番号(レース番号)をご確認ください。
- ※変更前※ご参加カテゴリーのゼッケン番号が表示されているカウンターへお越しください。 → ※変更後※Group Deskへお越しください
- レースキットと前夜祭チケット (お申込されている方のみ)を受取りご署名ください。
大いなる勘違い。
ここで、注意したいのは、アンコールワット遺跡群は、有料だということです。
私が勘違いしていたのは、マラソンゼッケンがあれば、コースなんだから、一連のアンコールワット遺跡群は、観光もフリーパスと思っていたことです。
実際は、まったくそんなことはありませんので、もし、マラソン大会終わりで、アンコールワット近郊の遺跡を観光したいと思っている方は、ソカアンコールワットリゾートの路挟んで横にあるアンコールワットチケットセンターで、チケットを購入してください。
マラソンゼッケンでは、遺跡エリアの中にある会場まではフリーパスに行けますが、遺跡観光はフリーパスではありません。必ず前もってチケットを買ってください。
大会前夜。
私は、ハーフマラソンにエントリー。スタートは、6時。
会場には、5時30分には、スタートポイントにいなくてはなりません。
荷物を預けたり、トレイしたりすることを考えると、さらに、30分前には会場へ。
ホテルから、スタート地点への移動は、約30分。
起きてから、朝食を食べて、トイレに行くことを考えると…。
起床3時!
そして、出発は、4時。
前日は、なかなか寝付けないまま、当日早朝。
前日からの腐れ縁のTUKTUKのおやっさんに、片道15ドルで、4時にホテルに来てもらうことに。もし、来なかったら・・。と思いましたが、ちゃんと来てくれていました。
ちなみに、その時間でもわりとTUKTUKは走っているので、案外心配しなくても大丈夫でした。
いざ、会場へ。
まだ月夜の中、爆走していくTUKTUKは案外肌寒いです。
100均の雨合羽など着ておくと、防寒になると思います。捨てられますし。
あとで分かったことですが、TUKTUKのおやっさんが、道を間違えて、大会運営者のルート?を通ってくれたおかげで、まったく渋滞もなく、ショートカットで、会場につきましたが、おそらく、事前に周知された参加者ルートを通っていたら、プラス20分ぐらいの渋滞だったのではないかなと思います。(なので、市内から50分ぐらい)
会場は、TUKTUK、バイクの嵐です。
しかもまだ暗い。帰りは、現地で流しのTUKTUKを拾おうかと思っていましたが、ここまで運んでくれたおやっさんが頑として、「帰りも連れて帰る」オーラを出していたので、「終わりの時間は見えないけどもいいか?」と聞いたところ、問題ないとのことだったので、目印の樹木だけ覚えて、会場に歩きました。
実際帰りも流しのタクシーはたくさんいるので、片道だけでもいいのかなと思います。もしくは、往復で、交渉しておけば安く済んだと思います。
猫ひろしさんに遭遇。
スタートゲートは、割と小さいです。
大会本部もスタートポイントからは地味に見えません・・・。なので、マイクパフォーマンスの声のみ響いてきます。
到着後、まずは手荷物を預けます。運動会のテントのようなところに、ごろっとおかれます。割とセキュリティはゆるめなので、できればあまり大事なものは、持って行かない方がよいと思います。簡単に盗難されそう・・。
それと、目立つリュックとかのほうが、自分も、運営スタッフも早く見つけてくれます。私は、カモフラのバックだったので「アーミーバック」と伝えたら、受け取り時にすぐ出してくれました。
荷物を預けたら、念のためトイレへ。
嫌な予感がしましたが、案の定、すでに壊れていて詰まっているところや、女子トイレでは、紙がなくて、だれも使えず、男子便所化しているところもありました。女子の方は、(男子も)多少ポケットティッシュなど持っていた方が良いかと思います。
トレイを出たところで、カンボジア代表の猫ひろしさんに遭遇。気さくに握手をしてもらいました。このマラソンに参加するといった時、みんなに「猫ひろしさんくるの?」なんて冗談をいわれましたが、まさかほんとににいると思いませんでした。
猫さん。割と普通に歩いてました。
スタートは割と雑。
ランナーは、欧米の方も多いのですが、日本人の方も多くて、海外レース感をあまり感じません。事前の案内文には、ハーフの方は、スタート(6:00)の30分前には、エリア集合とのことだったので、5:20分ぐらいからスタンバイして、ストレッチなどをしていました。カウントダウンが始まり、ドローンが飛び交う中、いよいよかと思っていましたが、一向に始まらず、それどころか、何度もカウントダウンがある始末で、結局スタートしたのは、25分押しの6:25分スタートでした。周りの方曰く、よくある事だそうで、結局1時間スタンバイして、ようやく走り出しです。
今年、コースが変更。
毎年のコースは、アンコールワットまでのワンウェイコースですが、今年は、政府主催のイベントの関係で、折り返しコースでした。この点は、非常に残念でしたが、夜明けとともに、走り出し、遺跡の中を駆け抜けるのは、非常にアドレナリンが出る大会でした。
トイレは?
ある程度のポイントごとにトイレはありましたが、あまりきれいではありません。
女性の方は、この点が少しデメリットに感じるかもしれません。
男性は、適当なところで草むらに入っていくランナーも見かけられました。
給水・エイドは?
ペッボトルのミネラルウォーターがあります。また、地点によっては、エナジードリンク、バナナがありました。大会自体が、厳密ではないので、折り返しからは、既に終わった反対側のエイドから余った水をもらえたりして、給水には事欠きませんでした。
暑さは?
前半10キロ前後は、日の出からの時間なので、夏の早朝ランのような感じですが、後半になってくると、日がさすところは、かなり暑くスタミナも奪われていきます。とはいえ、大木の樹木の中を走っていくので、ずっと炎天下というわけではありませんが、暑さ対策は必要だと思います。
ゴール
ハーフは、3時間となっていますが、ゆるーく続いています。ここら辺は、ほのぼのしてて、いい感じです。あっという間に撤収したり、護送されたりしないので、歩きながらでも、ゴールを目指してください。
完走者には、記念メダルがもらえます。
有森さんは、10キロラン。
あ、あと、日本の大会同様、オールスポーツさんのように、カメラマンが所々にいて、写真を撮ってくれます。価格も安いので、手を振っておきましょう。
どの大会でもそうですが、このアンコールワットでも子供たちが屈託のない笑顔で応援してくれるのが、とても印象的でした。
アンコールワットマラソン持ち物(私見)。
1.持って行ってよかったもの
◎サロンパススプレー缶(預け荷物)
◎リュックサック(カモフラ柄)→手荷物預けのときに
◎雨合羽(雨対策・防寒)
◎クロックス風サンダル 100均(ゴール後筋肉疲労した足にはこれ)
◎アミノ酸飲料(ジェルタイプ2本)スタミナ切れを補完。
◎ミニペンライト(スタート時結構暗い)
◎日焼け止め(鼻と首にはマスト)
◎ウェアラブルカメラ(道中適度に自動でシャッター切る設定に)
2.持って行ったけど、いらなかったもの
◎簡易座布団(結構椅子があった・マッサージもできます)
◎タオル(すぐビチャビシャに・・邪魔)
◎トイレットペーパー1ロール・・そんなにトイレ行かない。ポケットティッシュで
3.あればよかったもの
◎当日朝のウィダー系朝食・・カロリーメイトとかあればよいかなと。
◎ポカリの粉。一番慣れ親しんだ味。
◎ウェットティッシュ
◎アンコールワット観光パス
基本的には、普段みなさんが、マラソンに持って行くアイテムは、あればいいかなと思います。サングラスとか、帽子とか、時計とか、音楽再生機器とか・・。
私にとって、初の海外マラソンでしたが、現地のご飯も美味しくて、みんな親切で、滞在もお手頃で、コースも走りやすくて、まるで地元の大会に出てるかのような大会でした。
このページ見てたら、他のも参加したくなりました・・。
次は、プラハとか狙ってます。
この記事で、興味を持った方が、少しでも増えればいいなと思います。
そして少しでも参考になれば幸いです。
(2017.12月掲載)