使いづらいんじゃない、使えてないんだ。
社内で、君ほど、意見が分かれる人材はいないよ。と彼は言った。
昨日は、お世話になった上司の送別会だった。
たまたま、ご本人と席が横になり、私の話になった。
「使いづらいんだって。僕はそうは思わないけどね。」
私にとって、この手の話は毎度のことなので、もはや気にならなくなった。
「そうですか・・・。まあ仕方ないですよね。」
そう仕方ないのだ。私はあえて、それを承知で入社したのだから。
最終面接のときに、いまの同期になるメンバーの顔を見たとき、私は、ガッツポーズをしたのを覚えている。
自分と被っているやつがいない。
これは、目立つな。と。
そう、つまり最初から、違う路線で入社したのだ。
私が勤めている会社は、「言われたことはその通りにやる」マニュアル的な没個性の方で構成されている。そして、そういう人が社内ウケもよく、出世も早い。いわば、かつてのカローラのような存在とでもいえようか。
そんな中に、私のような「マニュアルは、あくまでマニュアル」効率よく新しいアイディアをどんどん出して、「間違っていることは、上司でもけんかする」タイプはそう多くはない。車でたとえるのなら、大量生産していない乗り手を選ぶ車という意味で、フェラーリみたいなものだろうか(自画自賛ではあるが)
だから、そこにいるだけで目立つ。一緒に仕事をしたことがない人は、尾ひれがついた噂を信じて、顔をそむける。「一緒に仕事できない、使いづらい」と。
「だけどね、使いづらいんじゃないんだよ、使えない方が悪いんだよ」
と上司は言葉をつづける。
「君と仕事をしてわかったのは、使い方さえ間違わなければ、高いパフォーマンスを出すということ」「好き嫌いと、使えないとを混同している人が多い」
ここ数年、業界的にいろいろなことがあり、これまでのようなやり方は通用しない時代になってきた。会社のトップからは、「個性の出せるやつになれ」などというコメントが出る始末。
んな、ばかな・・・。
今まで、没個性の塊で採用された人たちに、「個性を出せ」といったところで、土台無理な話。さらに、個性を出せない、出し方を知らない上司が個性がある部下を使いこなすことは、これまでの経験上非常に少ない。
最大のパフォーマンスを出すための努力。
それは、私自身も日々精進しなくてはいけない。
それとともに、
最大のパフォーマンスを出させる努力も、上司側には、必要なのではないか。
「社内で、君ほど評価が分かれる人材はいない」このせいで、苦労はずいぶんしてきた。
幸い、一緒に仕事をすると、それまでの尾ひれのついた噂や悪いイメージは一気に払しょくされ、逆に応援する側に替わってくれる。上司部下の関係がなくなっても、相談をしてくれるようになることも多々ある。
再来年、社内の体制が一気に変わる。
その時に、私はどのような評価がされているのかが、可視化されるような気がしている。
少しずつ、仲間は増えてきた。
来年、もっと大きな枠で仕事ができるように、自分自身も磨いていきたいと思う仕事納めの日である。